本法人の創始者である故矢追日聖師は、敗戦直後の昭和20年に、宗教的社会福祉の面から戦後の社会復興に取り組もうと決意され、自然の摂理にもとずく「あなたも私も仕合せに」という社会福祉の精神を根幹とする「神ながら」の宗教活動をはじめました。

 そうした中から、相互扶助的な地域共同社会である大倭紫陽花邑が生まれ、さまざまな活動を展開してきました。

 この大倭紫陽花邑を母胎として、昭和31年に多くの人たちの貴い協力によって社会福祉法人大倭安宿苑が誕生し、少しずつ事業を発展させながら現在に至っています。

 大倭安宿苑という名称は、奈良時代に悲田院や施薬院といった福祉事業に打ち込まれた光明皇后の婚姻前のお名前、藤原安宿媛から「安宿」の名を借りて、媛の博愛慈悲の福祉精神を現代に再現する祈りを込めて日聖師が名付けられたものです。



矢追 日聖師

 社会福祉法人大倭安宿苑は、昭和31年5月10日に設立され、現在では、救護施設の須加宮寮、指定介護老人福祉施設で特別養護老人ホームの長曽根寮、長曽根寮の在宅支援活動として、ながそね介護保険相談センター、訪問介護・通所介護・短期入所生活介護等の指定居宅サービス事業、ケアハウス八重垣園、身体障害者療護施設の菅原園、特定施設入居者生活介護ケアハウス茂毛蕗園と多様な福祉事業を展開しています。

 これらの事業体は、地域社会の方たちに支えながらそれぞれ異なった福祉課題に取り組んでいますが、わが国の社会福祉が急速に変化しつつある状況の中で法人の事務局を中心にして相互に緊密に協力し合って、地域福祉の向上に貢献する総合的な福祉事業体として重要な役割を果たしています。

 大倭安宿苑では合同の行事として夏祭り、文化祭、卓球大会や合同防災訓練なども行っており、地域の方たちにも有形無形のご協力をいただいています。



 大倭紫陽花邑の創始者であり本法人の前理事長でもあった矢追日聖師は、平成8年2月9日に帰幽されるまで、約40年間にわたって大倭安宿苑のゆるぎない基礎を築いてこられました。その中で私も、「地下水の精神」「心身の健康」「相互の扶助」という大倭の福祉の精神を、現場でのさまざまな実践の中で教えられてきました。

 前理事長の後を引き継いだ私は、大倭の福祉の原点に立ちつつ、新しい時代に向かう体制を整備するために本法人の管理機構の一元化という改革に着手しました。この新体制を「新生大倭安宿苑」と名付け、平成12年4月から本格的にスタートしました。この新体制では、法人事務局が管理部門として全体の一元的な管理運営を司り、各事務所が処遇部門としてそれぞれの特色と自主性を生かして利用者処遇に当たり、法人全体として効率的で生き生きとした福祉活動を展開していくことを目ざしています。

 わが国の社会福祉は介護保険の導入や基礎構造改革の推進に見られるように大きな変動期に入っており、この時代の激流に足もとをすくわれずに対処していくためには、これまで押し進めてきた本法人の一元化路線が奇しくも最良の選択であったと感じております。社会福祉の世界にも契約という概念や競争原理が取りいれられ、経営的なセンスが要求される昨今ですが、「生んだものは育てる」という前理事長の言葉が示唆するように、時代の波に乗りつつもお互いの仕合せを祈りつつ助け合っていくという大倭安宿苑の基本の心を、さらに大きく育てていきたいと希っております。

 今後ともっ皆様のより一層のご理解とご支援を心からお願い申し上げます。 

 
あなたも私も仕合せに         合 掌



理事長
矢追 美壽紀

 
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